2場所連続優勝で横綱昇進が確実とされる大の里関。圧倒的な強さが話題となる一方で、過去には「裏切り者」と呼ばれた時期があるのをご存じでしょうか?
「えっ、大の里ってそんなこと言われてたの?」 「今じゃあんなに人気なのに、なぜ…?」
実は、中学からの“相撲留学”で出身地・石川県を離れたことで、一部の地元関係者から非難の声があがり、父親にもその余波が及んでいたのです。
横綱昇進が注目される今だからこそ振り返りたい、大の里親子に起きた出来事を詳しくご紹介します。
なぜ大の里は「裏切り者」と呼ばれたのか?
<#大の里 一夜明け会見>
— 日本相撲協会公式 (@sumokyokai) May 26, 2025
令和7年五月場所で4回目の優勝を果たした大の里。
二所ノ関部屋で一夜明け会見を行いました。 #sumo #相撲 #五月場所 #夏場所 #優勝 pic.twitter.com/MZdkOx36L0
石川県河北郡津幡町出身の大の里は、小学1年から地元の少年相撲教室で鍛えられ、地域からの期待を一身に背負っていました。
しかし、中学進学時に彼は新潟県糸魚川市の能生中学校への相撲留学を選択。

そもそも石川県は『輪島』など名士が多い相撲環境や理解が整った地域。
地元では「なぜ県外に?」という疑問が生まれ、一部の大人たちからは複雑な感情を持たれる時期もあったようです。
“才能の流出”と見なされた進路選択
石川県は相撲の強豪地域であり、有望な力士が他県に進学することに対して敏感な空気があります。特に大の里のような逸材が、金沢市などの強豪校ではなく、県外を選んだことは「地元を裏切った」と受け止められてしまった感は否めません。
父・中村知幸さんにも波紋が
私の思いも背負って、ここまで戦ってきてくれました。中学から新潟県糸魚川市に相撲留学。元横綱輪島さんをはじめ、相撲どころの石川県を離れることで、多くの人に「裏切り者」と言われました。もちろん、変わらずに接してくれる人もいましたが、私は若いころ、石川県代表として国体などに出場。それが息子を他県に留学させたことで、地元の津幡町少年相撲教室でも、それまでのように指導ができなくなりました。
引用元:Yahoo!ニュース
父・中村知幸さんは松陵工業高校(北陵高校)高相撲部の出身です。全国青年大会無差別級で準優勝した実力者。
地元の少年相撲教室で指導も行っていました。大の里が小1で入った津幡町少年相撲教室では知幸さん自身がまわしを着けて指導したことも。しかし、息子が県外へ進学したことで、教室内外での指導に壁が出来た時期を告白しています。
中学から始まった相撲留学の真相
では、なぜあえて石川県を離れる決断をしたのでしょうか?
テレビで見た同郷の力士の姿がきっかけ
きっかけは、小学生時代に見たあるテレビ番組でした。石川県穴水町出身の三輪隼斗選手(現・実業団ソディック所属)の活躍をテレビで見た大の里少年は、「自分も強くなりたい」と本気で思うようになります。
ソディック相撲部 三輪隼斗選手「第4回全日本相撲個人体重別選手権大会」シニア男子軽重量級優勝 https://t.co/r57Kim4F76 pic.twitter.com/mcQlTbbxtW
— PR TIMESテクノロジー (@PRTIMES_TECH) May 12, 2025

大の里関の目標となった三輪選手は今も活躍されています!
全国王者を目指して稽古に励む同郷の先輩の姿は、相撲少年の心に火を付けた。知幸さんから見ても「目の色が変わった」大の里は、三輪さんが相撲留学した糸魚川市の能生(のう)中への進学を決めた。
引用元:北國新聞デジタル
その強い思いが、地元から一歩外に出て挑戦する「相撲留学」という選択につながっていったのです。
能生中→海洋高校→日体大へ
[大相撲夏場所]綱とり挑戦の「大の里」既に3回も“横綱”になっていた!能生中→海洋高→日体大で飛躍、中村泰輝の栄冠 新潟日報の紙面から偉業を紹介 https://t.co/97sSHLhtnE#大の里 #綱とり #大相撲夏場所
— 新潟日報ニュース (@niigata_nippo) May 13, 2025
中学は新潟県糸魚川市立能生中学校、そして高校は新潟県立海洋高等学校に進学。その後、日本体育大学へと進みました。
能生中学校の相撲部の業績
海洋高等学校の相撲部の業績
【大の里 優勝おめでとう!!】
— 新潟県糸魚川市 (@Itoigawa_city) May 23, 2025
能生中学校・海洋高校出身の力士、大関 大の里が、連覇で4回目の優勝を果たしました!
能生生涯学習センターのパブリックビューイング会場は、歓喜の渦に包まれました😆❤️ pic.twitter.com/Wd8x16cRpE
出身の有名力士(大の里除く)
- 嘉陽快宗(かようやすとき)
嘉陽は糸魚川市立能生中学校から海洋高校に進学し、大学では日本体育大学に進学しました。彼はアマチュア相撲での実績を持ち、全日本相撲選手権大会でのベスト8入りを果たしています。 - 白熊優太(しろくまゆうた)
白熊も海洋高校出身で、近年の相撲界で注目されている力士の一人です。彼は十両での初優勝を果たし、今後の活躍が期待されています
この一連の進路は、「高校相撲で勝つ」ためではなく、「将来、角界で活躍するために必要な環境を自分で選んだ結果」でした。

日体大に進んでも、すぐ実力を発揮。1年生の秋に早くも結果を出した。2019年10月の茨城国体では、さっそく成年個人を制しています。
石川県の相撲環境と、それでも新潟へ県外進学を選んだ理由
石川県の相撲環境と育成体制
石川県は、相撲の育成環境が全国的に見ても非常に充実しており、以下のような特徴があります。
- 少年相撲の盛んさ:地域の少年相撲教室や大会が活発に行われ、若い世代の育成に力を入れています。
- 高校相撲の強豪校:金沢学院大学附属高等学校など、全国大会で活躍する高校が存在し、優秀な選手を多数輩出しています。
- 地域全体での支援:地元自治体や企業が相撲部の活動を支援し、地域ぐるみで力士の育成に取り組んでいます。
輪島大士、遠藤聖大、炎鵬など、全国的に有名な力士を輩出している石川県は、まさに相撲大国と呼ぶにふさわしい地域です。
石川県出身の著名な力士たち
石川県は、以下のような著名な力士を輩出しています。
炎鵬 友哉(えんほう ゆうや):金沢市出身の現役力士。小柄ながら多彩な技で観客を魅了し、最高位は前頭四枚目です。
輪島 大士(わじま ひろし):第54代横綱。金沢市出身で、昭和の大相撲を代表する力士の一人です。
出島 武春(でじま たけはる):金沢市出身の元大関。1999年7月場所で幕内最高優勝を果たしました。
遠藤 聖大(えんどう しょうた):穴水町出身の現役力士。最高位は小結で、人気と実力を兼ね備えた力士として知られています。
輝 大士(かがやき たいし):七尾市出身の現役力士。最高位は前頭筆頭で、突き押し相撲を得意としています。
それでも大の里関が新潟へ県外進学を選んだ理由
先日入門した中村泰輝の入門会見を新潟県立海洋高校で行いました。
— 【公式】二所ノ関部屋 (@nishonosekibeya) April 6, 2023
五月場所から大の里(おおのさと)の四股名でデビューいたします。#二所ノ関部屋 #稀勢の里 #sumo #石川県 #津幡町 #新潟 pic.twitter.com/uMvgVbSAmU
このような恵まれた地元の相撲環境がありながら、大の里関が中学から新潟県へ“相撲留学”を決断した背景には、いくつかの明確な理由がありました。
- 個別の指導環境:新潟県糸魚川市立能生中学校や新潟県立海洋高等学校では、個々の力士に合わせた丁寧な指導体制が整っており、競技に集中できる環境がありました。
- 先輩力士の影響:穴水町出身の三輪隼斗選手の活躍をテレビで見て、「自分もこうなりたい」と思いを強くしたことが、進学を決意する一つのきっかけとなったといいます。
- 将来を見据えた選択:高校相撲の勝利だけを目指すのではなく、その先にあるプロの相撲界を見据えて、より自分に合った育成環境を選ぶという視野の広い判断だったと考えられます。
そして今──横綱昇進が確実に
2025年5月場所、大の里は13日目に無傷の13連勝を果たし、自己最多の14勝で2場所連続の幕内優勝。4度目の優勝で横綱昇進が確実と報じられています。
“裏切り者”から“角界の星”へ
何とか見返そうとしてくれていたと知ったのが21年12月。大学3年でアマチュア横綱のタイトルを取った日の夜、両国の居酒屋に私ら親子と泰輝の相撲部の友人、3人で入った時です。その友人に説明する形で、泰輝が「オレたち親子は、本当につらかった」と、涙を流しながら話している姿に、私も涙が止まりませんでした。
引用元:Yahoo!ニュース
このエピソードからは、地元や父への恩返しとして成功を目指していた大の里の強い信念、そして人一倍優しい心が垣間見えます。
かつて“裏切り者”と言われた大の里の進路選択は、今となっては「先を見据えた挑戦だった」と評価されても間違いありません!
父・中村さんは日刊スポーツへの手記で、 「支援してくれた人に感謝している。親としてもあの時の選択は間違っていなかった」 と語っています。
まとめ:裏切りではなく“未来への投資”だった
中学からの相撲留学により、地元を離れた大の里関と父・中村さん。一時は「裏切り者」とまで呼ばれた時期を経験しましたが、その選択は角界での圧倒的な活躍へとつながりました。
2場所連続優勝で横綱昇進が確実視される今、地元・石川県でもその実力と人柄が再評価され、優勝の喜びと綱取りへの期待が大きく高まっています。「裏切り」ではなく、「信じた道を進んだ勇気ある挑戦」だったといえるでしょう。
📝 参考元:本記事は、2025年5月26日公開の日刊スポーツ記事【手記】父より息子大の里へ「故郷に『裏切り者』と言われ『つらかった』親子で泣いた4年前の夜」および、同紙による横綱昇進確実の報道をもとに構成しています。