2025年の「24時間テレビ」でマラソンランナーを務めることになり、大きな注目を集めているSUPER EIGHTの横山裕さん。
テレビでは明るく頼れる存在ですが、その裏には幼い頃から家族を支えてきた壮絶な生い立ちがあります。両親の離婚や母の再婚、さらに母の急逝や弟の記憶喪失など…数えきれない試練を乗り越えてきました。
そんな横山さんを支えるのは、やっぱり家族との絆。この記事では、父親・母親・弟との家族構成や関係を家系図で整理しながら、弟2人(勤さん・充さん)の職業や今の姿まで、わかりやすく紹介していきます。
横山裕の家族構成を家系図で解説
2025年の「24時間テレビ」でマラソンランナーに大抜擢!大きな注目を集めているSUPER EIGHTの横山裕さん。
華やかな活躍の裏で、幼い頃から家族を支え続けてきた壮絶な生い立ちがあります。

まずは横山さんの家族関係をわかりやすくするため、簡略家系図をご覧ください。

父親・母親との関係
横山さんは1981年に誕生。両親は3歳のときに離婚し、母が再婚して義父の姓「横山」を名乗るようなったとか。
しかし義父との関係はあまり良好ではなく…小学校低学年のころは祖父母宅で過ごした時期もあったと明かしています。

祖父母宅は団地の2階上だったそうです。
母親は真島幸子(まじま さちこ)さんとファンの間では語られています。
仕事を掛け持ちしながら3人の子供を育てました。
横山さん自身も中学卒業後に高校へは進学せず、建設会社で働きながら芸能活動を両立。家計を支えるために、まさに“父親代わり”として歩み始めます。

その時勤めていた建設会社は、大阪市此花区の商店街にあるそうです。

大阪市此花区、四貫島商店街付近にある『松村建設工業』に1年間ほど勤務。
横山の出身地である大阪・此花区を散策するロケを敢行。地元の魅力を紹介していた矢先だった。 「めちゃくちゃ懐かしい」と口ずさみながら街を歩いていると、横山は突然「そこに商店街があるんですけど」と紹介しながら、その横にある建設会社を指さし「そこに勤めていたんです」と告白した。
引用元:2024.12スポニチアネックス
その後、横山裕さんが20歳頃、母親はがん闘病中に2度目の離婚。経済的に厳しく、2人の弟は児童養護施設に、
2010年、母は虚血性心疾患で急逝。享年50歳。
横山さんが29歳のときの出来事でした。
葬儀では関ジャニ∞のメンバーが全員参列し、嵐からも献花が届いたことを後に感謝しています。
弟2人の名前と年齢差
横山さんには2人の異父弟がいます。
やんちゃな兄にとって、弟たちはカンフーごっこの相手でもありましたが、次第に“守るべき存在”へと変わっていきます。
弟の職業と資格
次男・勤さん
職業は公表されていませんが、宅地建物取引士(宅建)の資格を持っていることが複数の情報で確認されています。
2017年のSNSで複数弟のつとむさんに関して述べている投稿が散見されます、
「横山さんと充さん、務さんはお父さん違うけど、大学行かせて一人は宅建取ってもう一人は税理士になって…横山さんも弟さんも偉い」
引用元:2017.1投稿分
充も税理士の資格取れたんや。゚(゚’Д’゚)゚。 勤も宅建の資格もってるし… すげぇなぁ横山兄弟。゚(゚’Д’゚)゚。
引用元:2017.1投稿分
という投稿があり、宅建資格保持は濃厚といえます。※この投稿では次男:勤さんの漢字表記は務になっていますが正確には『勤』。

「宅地建物取引士(宅建)の資格を活かし、不動産関連の仕事に従事しているとみられます。例えばーー
- 不動産仲介業
- 不動産管理会社
- 建設会社・ハウスメーカー系
- デベロッパー(開発業)
- 独立系・フリーランス
など様々です。
三男・充さん
横山裕さん本人も「弟は税理士になった」と語っており、税理士として活躍されていることは周知の事実です。
兄の支えを受けながら何度も試験に挑戦し、合格を勝ち取った努力家です。
さらに以前の投稿に横山さんのソロコンサートでは「弟・充」として紹介される場面もあり、YouTube動画でも本人が「横山充」と名乗って登場している姿が確認できます。
まとめ表
弟 | 名前 | 年齢差 | 生年 | 職業・資格 | 特記事項 |
---|---|---|---|---|---|
次男 | 勤(つとむ)※務の可能性も! | 6歳下:既婚 | 1987年生まれ | 宅地建物取引士(不動産関係と推測) | 2016年に結婚式。母の死後、記憶喪失を経験 |
三男 | 充(みつる) | 8歳下 | 1989年生まれ | 税理士(独立開業の噂あり) | 初任給で兄に寿司をご馳走。横山本人も職業 |
弟・次男の記憶喪失と兄弟の絆
2010年5月16日、横山裕さんの母が虚血性心疾患で急逝しました(享年50歳)。
当時、横山さんは29歳、次男は23歳、三男は21歳。突然の別れは、まだ若かった弟たちに大きな衝撃を与えました。
特に次男の勤さんは葬儀で気丈に振る舞い、一滴も涙を流さなかったのですが、その反動はすぐに現れます。
葬儀からわずか2週間後、突然倒れて記憶喪失に。母が亡くなったことを含め、約2年間の記憶がすっぽり抜け落ちてしまったのです。
病院で「先生が“おかんが死んだ”って意味わからんことを言う」と話すほど、現実を認識できなくなっていました。
横山裕の支えと共同生活
「僕がしっかりしないと弟たちの将来がむちゃくちゃになる」
そう強く思った横山さんは、次男と三男を呼び寄せ、大阪市内で3人の共同生活を始めます。
当時は仕事で多忙を極めていたものの、合間を縫って弟たちを旅行に連れて行ったり、スーパーで食材を一緒に買い出ししたり。
「狭い世界に閉じこもらせたらいけない」と考え、できる限り新しい刺激を与えながら寄り添い続けました。
記憶が戻った瞬間
そして母の死から2年後のある日。
突然、次男が泣きながら「母ちゃん、死んじゃった」と言葉を発しました。
その瞬間、止まっていた時間が動き出し、失われていた記憶が一気に蘇ったのです。
兄弟は抱き合い、涙しました。横山さんにとっても、この瞬間は一生忘れられない感動の場面となりました。
次男の結婚式エピソード
2016年6月18日、次男・勤さんが結婚式を迎えました。
この晴れの日に横山裕さんは、三男・充さんと一緒に新郎新婦へのサプライズを計画。多忙の合間を縫ってトランペットを練習し、披露宴で演奏しました。

披露した曲は、福山雅治さんの「家族になろうよ」

横山さんが34歳のとき。次男:つとむさんは28〜29歳で結婚されたことになります。
ところが、本番直前に次男から感謝の手紙を読まれ、横山さんは感極まって号泣。演奏は「アカンかった」と自ら語りながらも、会場は温かい拍手に包まれ、忘れられないひとときとなりました。
横山さんは「めちゃくちゃ泣いてた、この時」と後にテレビ番組で回想。櫻井翔さんや霜降り明星のせいやさんからも「失敗じゃなく最高の演奏」と称賛され、兄弟愛を象徴する感動的なエピソードとなっています。
次男の記憶喪失〜回復の時系列
年 | 次男の状況 | 横山裕の行動 |
---|---|---|
2010年5月 | 母が急逝(享年50歳)。葬儀で気丈に振る舞う | 青森県でのソロライブ開演4時間前に訃報が伝えられる。その後葬儀へ参加。 |
2010年5月末 | 葬儀から約2週間後に倒れ、記憶喪失。母の死を認識できず | 仕事の合間に弟を支える決意 |
2010〜2012年 | 約2年間、母の死を忘れたまま生活 | 大阪市内で3人の共同生活。旅行や買い物で記憶を呼び戻そうとする |
2012年頃 | 突然「母ちゃん、死んじゃった」と泣き出す | 記憶が戻った瞬間、兄弟で抱き合い号泣 |
2016年6月 | 次男・結婚 | 三男弟とサプライズ演奏披露 |
横山裕 生い立ち・学歴を時系列
のちに「SUPER EIGHT」として日本を代表するアイドルへと成長を遂げる横山裕さん。本名は横山侯隆〈よこやま きみたか〉です。
もっとひも解くと、横山姓は義父の苗字であり、母親が再婚する前までは「真島」です。

「裕」という芸名はどこから??
「裕」の名付け親は「YOU」が口癖のジャニ―喜多川氏と言われています。
嵐の相葉雅紀さんなども横山裕さんを本名から「キミ」ちゃんと呼ぶなどデビュー前からの仲の良さを感じるエピソードです。
年 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
1981年 | 0歳 | 大阪市此花区に誕生。本名は侯隆(きみたか) |
1984年 | 3歳 | 両親が離婚。母と暮らす |
1986年 | 5歳 | 母が再婚し義父の姓「横山」を名乗る |
小学時代 | 祖父母宅に預けられながら育つ | |
1996年 | 15歳 | ジャニーズ事務所オーディション合格(母が履歴書を送付) |
1998年 | 17歳 | ドラマ『ドンウォリー!』で俳優デビュー |
2004年 | 23歳 | 関ジャニ∞としてCDデビュー |
2014年 | 33歳 | 大倉忠義と共に高認試験を受験 |
まとめ
SUPER EIGHT・横山裕さんの家族関係を振り返ると、まさに波乱万丈の人生そのものです。
両親の離婚と母の再婚、義父との確執、祖父母に預けられた幼少期。
そして母の急逝という最大の試練の中で、父親代わりとして2人の弟を支え続けた長男・横山裕の姿があります。
- 次男・勤さんは母の死のショックで記憶を失うも、兄の支えで2年後に奇跡的に記憶を取り戻しました。
- 三男・充さんは税理士を志し、何度も挫折を経験しながらも合格。兄の経済的な支援を受け、今は独立した税理士として活躍しています。
横山さん自身も、中卒で建設会社に勤めながら芸能界を歩み始め、2014年には大倉忠義さんと共に高認試験を受けるなど、生い立ちの厳しさをバネに、芸能界の第一線で活躍し続けてきました。
2025年は「24時間テレビ」のマラソンランナーに選ばれ、再び国民的な注目を浴びています。
辛い過去を背負いながらも、笑顔で走り続ける姿は、きっと視聴者の胸を打つことは間違いなく、炎天下の酷暑の中、無事完走を願うばかりです。
横山裕さんの人生と家族の物語は、まさに絆と挑戦の証。
これからの活躍と、家族との歩みにますます期待が高まります。