日本を代表する俳優で文化勲章受章者の仲代達矢さん(享年92)が、2025年11月8日、肺炎のため都内の病院で死去されました。
娘で歌手の仲代奈緒さんが最期を看取り、最愛の妻で俳優の宮崎恭子さんとともに創設した俳優養成所「無名塾」が改めて注目を集めています。
学費無料・アルバイト禁止という厳しい環境の中で、多くの実力派俳優を輩出してきた“劇団の東大”と呼ばれる名門。
本記事では、無名塾の所在地や入塾倍率、出身有名俳優、そして仲代さんが遺した精神について詳しく解説します。
仲代達矢さんが死去 死因は肺炎、娘・仲代奈緒さんが看取る
俳優の仲代達矢さんが逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
— 日本アカデミー賞協会 (@japanacademy) November 11, 2025
55年に俳優座に入団後、56年「火の鳥」で映画デビュー。「人間の條件」「用心棒」「椿三十郎」など数々の名作に出演されました。『無名塾』を主宰。生涯現役で日本の映画界、演劇界を牽引されました。 pic.twitter.com/mCprN5Al8J
日本を代表する俳優で文化勲章受章者の仲代達矢さん(享年92)が、2025年11月8日、肺炎のため都内の病院で亡くなりました。
所属事務所によると、1~2週間前にケガを負って入院していたところ、肺炎を併発したとのことです。
最期は、娘で歌手の仲代奈緒さんが看取ったと報じられています。
仲代さんは、今年5月に石川県・能登で行われた復興支援公演に出演したのが最後の舞台となりました。
92歳という高齢ながらも最後まで現役俳優として活動を続けた姿に、多くの俳優仲間やファンから追悼の声が寄せられています。
妻・宮崎恭子さんとともに創設された「無名塾」とは
仲代達矢さんの俳優人生の中で、最も大きな功績の一つが俳優養成所「無名塾」の設立です。
1975年3月、妻で女優の宮崎恭子さんとともに、東京都世田谷区岡本の自宅稽古場を拠点に創設されました。
- 無名塾ホームページ
- 〒157-0076 東京都世田谷区岡本1丁目6−2
学費無料・少人数制で、プロ俳優を目指す若者たちに
舞台中心の実践教育を行ってきました。
また、石川県七尾市中島町には、無名塾と深い関わりを持つ
提携劇場「能登演劇堂」があり、塾生たちが舞台経験を積む場としても知られています。
無名塾の特徴と養成コース内容
無名塾は、仲代達矢さんと妻・宮崎恭子さんが掲げた
「演技の前に、人間を磨け」という理念のもとに運営されています。
稽古場は自宅敷地内の「仲代劇堂」。
照明や舞台装置も整い、プロの舞台さながらの環境で稽古が行われます。
塾生は掃除や体力づくり、発声練習などを通して心身の基礎から鍛えられるのが特徴です。
1年目で人格と基礎を磨き、さらに選ばれた塾生が2〜3年目の本格稽古へ進みます。
アルバイトは禁止され、生活は家族の支援や舞台出演報酬に頼ることも多く、
まさに俳優として生きる覚悟が求められる場所です。
稽古場には「克己グラフ」と呼ばれる掲示板があり、
掃除やランニングなど日々の努力を可視化。
また、「塾日誌」や「稽古ノート」に気づきを書き残す習慣も続いており、
それが後輩たちの教材にもなっています。
無名塾の入塾試験と倍率の推移
無名塾の入塾試験は毎年行われ、一次・二次審査を通してわずかな合格者のみが選ばれます。
無名塾の入塾オーデションは無名塾ホームページや公式X【無名塾公式】でも毎年案内があるようです。
来年以降の後進の指導などを考えると今後の募集はどうなるのか、非常に気になるところ。
一次審査通過者のみが審査料2万円を支払い、二次審査に進む形式です。
全寮制ではなく、塾生はそれぞれ自宅や下宿先から通います。
倍率は非常に高く、時代とともに上昇してきました。
- 1970年代:設立初期で志願者は今より少なめ(おおむね十数倍程度といわれる)
- 1980〜1990年代:知名度が上がって倍率も上昇(数十倍規模)
- 2000年代以降:志願者がさらに増え、「過去には200倍ということも」とテレビ番組で紹介の過去も(TBSの2019年記事より)
オーディションでは、長台詞や一人芝居、声量・表現力などが総合的に審査されます。
まさに、精神と演技力の両面が試される登竜門です。
無名塾出身の主な有名俳優たち
無名塾は、これまでに数多くの実力派俳優を輩出してきました。
主な出身者は以下のとおりです。
- 役所広司(『Shall we ダンス?』『THE 有頂天ホテル』など)
- 益岡徹(『王様のレストラン』『Dr.コトー診療所』など)
- 遠藤憲一 「ドクターX〜外科医・大門未知子〜」「民王」など
- 若村麻由美(『白い巨塔』『鎌倉殿の13人』など)
- 滝藤賢一(『半沢直樹』『探偵が早すぎる』など)
- 真木よう子(『SP』『そして父になる』など)
- 田中実 「凛々と」「温泉へ行こうシリーズ」など
- 中原果南 『はるちゃん』など

役所広司さんや若村麻由美さんは耳にするけど、遠藤憲一さんも輩出されてるんですね!?若手だと真木よう子さんなどもドラマなどでは馴染みがあります。

しかし、無名塾独特の空気感や厳しい規則、遠藤さん自身のもともとの辞め癖が抜けていなかったことから本人曰く、10日後に劇団を離脱したそうです。ということで、出身といえるかどうか微妙なところです。
仲代達矢さんのプロフィールと代表作
仲代達矢さんは1932年12月13日生まれ、東京都出身の日本を代表する俳優です。
1952年に俳優座付属養成所(4期生)に入所し、数々の舞台や映画で重厚な存在感を放ちました。
代表作には、
✅映画『人間の條件』(1959〜1961年)や
✅『切腹』(1962年)
✅黒澤明監督の『用心棒』(1961年)
✅『影武者』(1980年)
✅『乱』(1985年)などがあります。
1975年には妻・宮崎恭子さんと共に俳優養成所「無名塾」を設立。
有能な脚本家・演出家また女優でもあった妻の宮崎恭子さんは1996年に膵臓がんで逝去され、無名塾にあった『文芸演出部』はその時点で終了となっています。
後進の育成にも尽力しました。2015年に文化勲章を受章、2025年に92歳で逝去。
長年にわたり日本映画界を支えた重鎮として、その功績は今も語り継がれています。
仲代達矢さんの代表作と言われるベスト10
- 鍵(1959年)|映画作品
- 人間の條件(1959〜1961年)|主演・梶
- 切腹(1962年)|主演・井上内膳
- 用心棒(1961年)|黒澤明監督作品・脇役として出演
- 椿三十郎(1962年)|黒澤明監督作品
- 影武者(1980年)|主演・織田信長
- 乱(1985年)|主演・侍大将
- 野獣死すべし(1959年)|主演・伊達邦彦
- ハムレット(1964年)|舞台作品
- 東海道四谷怪談(1964年)|舞台作品
仲代達矢さんの主な年表
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 1932年 | 東京都に生まれる |
| 1952年 | 俳優座付属養成所(4期生)入所 |
| 1954年 | 『七人の侍』で映画デビュー(通りすがりの浪人役) |
| 1959〜1961年 | 『人間の條件』主演シリーズで一躍注目を集める |
| 1960年代 | 黒澤明監督作品に多数出演 |
| 1975年 | 無名塾を設立、俳優育成に尽力 |
| 1980年代 | 『影武者』『乱』など大作で主演 |
| 2015年 | 文化勲章を受章 |
| 2025年 | 92歳で逝去 |
仲代達矢さんが残したもの 無名塾に息づく精神
代達矢さんは、俳優として数えきれない名作に出演しながら、
その情熱を次の世代へつなぐことにも力を注ぎました。
彼が築いた「無名塾」は、まさにその思いの結晶。
今もなお、「人を育てることが演技を育てること」という仲代さんの教えが生き続けています。
今年5月に能登で上演された復興公演が、結果的に最後の舞台となりました。
最後まで舞台に立ち続けたその姿は、まさに
「芝居とともに生き、芝居で人生を締めくくった俳優」そのものでした。
仲代さんは以前、自分がいなくなった後も俳優にとって学ぶ場所である無名塾の存在がこれからもあり続けることを願うコメントを出しています。
まとめ
仲代達矢さんは、俳優としてだけでなく、
多くの若手を導いた“師”でもありました。
妻の宮崎恭子さんと作り上げた無名塾は、
今も「人間を磨くことから演技が始まる」という思いを大切にしています。
これからも、仲代さんの教えは無名塾とともに
次の世代の俳優たちへ受け継がれていくでしょう。
