からだ・こころ

ずっと元気な人なんていない

50までの健康手帳

子供のころは病気知らず

ひとつ年上の姉、ひとつ年下の弟。もはや令和の世の中で、脅威の年子で三きょうだいです。

真ん中で次女の私は、自由でした。長女と長男の姉と弟は親の期待がやや高め。両親は均等に愛を注いでくれましたが、環境は少しずれてたような気がします。

姉は小学校に入る前から大学病院に定期的に通院していた記憶がうっすらあり、弟はぜんそく体質でした。なので、姉の通院についていき、弟のぜんそくにいろんなものを試す親(とくに母親)は大変そうでした。うらはらに、かまってもらえてうらやましかったです。

「ののは手がかからなくて助かるわ~。」と言われると得意な気分になりました。褒められてる気がしていたんですね。しかし、就職するまで歯医者くらいしかまともに病院の門はくぐることはありませんでした。ありがたいことです。

それは突然やってきた!

就職した先は、今思うと体を酷使する職場でしたが若さゆえ、全く気になりませんでした。これがのちのち尾を引くのですが、仕事自体は楽しかったです。

結婚退職して幸せ気分な2年目、マンションの自転車置き場にて発生!ギクッと腰を痛めました。5日ほど横になったり、様子を見ていましたがらちがあかず、受診。

坐骨神経痛、といわれ通院しましたが徐々に悪化。途中、夫の転勤を挟み、関東から関西へ。自家用車で移動したときは夫を初めて「鬼!」と思いました。長時間移動はつらかったです。

その後、ヘルニアであることが判明し、地元に帰って入院、手術。毎日、嫁いだ娘のもとへ両親は会いに来てくれました。確かに子供への愛は均等だったと思います。手術後、個室で母と二人の時に言われました。「姉と弟は小さいころ苦労してののは楽だと思ったけど、結局プラスマイナスで一緒になるんだね~」と。

ん、そんなものかもしれない、と思いました。

結婚してからは激変

結局、その後1度は再発し、ヘルニアでは2度入院。2回目は救急車におせわになっております。

40代は子宮筋腫。定期健診で子宮頸がん疑いにひっかかり、結果OKでしたが、検査の過程で筋腫の大きくなり方がおかしい、良性か悪性かは切ってみないとわからないということで。結果は良性でしたが、子宮は全摘出となりました、はい。

こののち、しばらく眠れないといったブルーな気持ちに陥りますが、子育ての忙しさが気をまぎらわしてくれたのでなんとか平常心にもどるようになりました。

50代に入り、今度は何がやってくるか、ちょっと不安なこの頃です。

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